旧石器時代の日本列島には人類はいたのでしょうか?
かつて考古学の世界では、当時の日本列島は火山噴火などの厳しい自然環境であったことなどから、とても人類が住める環境ではないと考えられていました。
しかし「あるアマチュア考古学者」の発見と努力がきっかけとなって、旧石器時代の日本列島にも人類が居たことが証明されました。
今回は、旧石器時代の気候変動をふまえながら、当時の日本の様子を想像していこうと思います。
旧石器時代といわれる時代は、とても長く何度もの氷期と間氷期という地球規模の大きな気候変動と海水準変動が起きています。古代の動植物はこのような変動に順応できた種は生き残り、順応できなかった種は滅びていきました。この時代の日本の歴史を知るには、こういった背景を知る必要があります。
日本人の起源については諸説ありますが、大陸と地続きであった時代に、人類を含む動植物が日本列島に渡ってきたと考えられています。そしてある時期には、大陸と切り離され日本独自の進化を遂げていったのです。
日本にも旧石器時代があった
旧石器時代とは、文字通り石器を用いて、人類が狩り主体で暮らしていた時代です。
世界規模では約200万年前~1万年前までの広い時代を指し、前期(200~30万年前)・中期(30~3万年前)・後期(3~1万年)の3つに区分されています。
かつて日本列島には、火山噴火などが続く厳しい自然環境から、縄文時代より前に人類はいないと考えられていました(痕跡の報告はあったものの、当時は厳しい批判を受けたそうです)
しかし、アマチュア考古学者「相澤忠洋」氏が、現在の群馬県みどり市岩宿の切通し崖面(後の岩宿遺跡)で、1946年(昭和21年)から3年間もの間地道な発掘を続け、1949年(昭和24年)ついに人の手による加工をされた黒曜石製の尖頭器(槍の先)を発見しました。当初は、この大発見は見向きもされず、周囲の住民からも批判を受けたそうです。
この発見をもとに各地で旧石器時代の遺跡が発見されていき、相沢氏の発見から18年後の1967年(昭和42年)に功績が認められました。こうして当時の定説をくつがえして、日本にも旧石器時代があったことが証明されました。
人の手により磨かれた石器では世界で発見されている一番古いものとされています。
相沢忠弘氏の考古学への熱意はたくさんの著書にもなっています。
私も、岩宿遺跡には、いつか足を運んでみたいと思います。
岩宿遺跡の発見者—人間相澤忠洋を語る—
【平成30年度 第56回群馬県文学賞〈評論部門〉受賞】
戦後、納豆売りの行商をしながら考古学研究を続け、岩宿遺跡を発見。ついに縄文時代以前に遡る日本人の黎明期を証明した相澤忠洋氏。高度経済成長期の各地発掘調査を共にした著者が明かす魅力ある人間性と知られざる努力の半生
砂原遺跡では、中期旧石器時代の12万年前とされる石器もみつかっています。日本列島に原人がたどりついた可能性も否定できませんが、真偽については、厳しい意見もあるようです。2000年に旧石器捏造事件が起きたことにより、前期・中期旧石器時代については、慎重な対応が必要となっているようです。
中期以前の日本列島に人類がいた可能性は否定できないのだし、
ぜひ発見を期待したいな~。
各地で発見された原人も、
分析によって新人であったことがわかっているけどね。
日本人のルーツ
人類の進化と長い旅
人類は、アフリカを起源とした「アフリカ単一起源説」が有力です。約700万年前に猿人が誕生して以来、進化と絶滅を繰り返し、約20万年前には現生人類の祖「ホモ=サピエンス=サピエンス」に進化しました。最終氷期が終わった7万年前に世界中に移動を開始したと考えられています。
日本列島はアフリカから、はるか遠くにありますから、たどりつくまでに3万年近くの進化の旅をしてきたことになりますね。シベリアから渡ったアメリカ大陸の先住民たちのルーツもアジアから分岐した遠い親戚といえます。
最初期の原人「ホモハビリス」だって。
まだまだ、おサル感が強いね~。
200万年前といわれているけれど、
すでに二本足で歩くこともできたんだって。
もっとも木登りのほうが上手だったみたい。
日本人のルーツ 縄文人と弥生人
当時の日本列島へ現生人類が到達したのは、4万年前と考えられています。
南東アジアから移住してきた「縄文人」と、大陸北部から移住してきた「弥生人」です。現在の日本人の大半は彼らの混血と考えられています。
弥生人は舟で来たのではないかという説もあるようですが、どうなのでしょうね~!?
たしかに島々にも痕跡がありますから、海を渡ることができたのは間違いありません。
縄文人と弥生人は、以下のような特徴が知られています。あなたはどちらに近いでしょうか?
背は低く、細めの体形、手足は長く細い、毛髪はくせ毛、体毛は多い、顔は角型で彫りが深い、二重瞼、血液型はO型が多い。狩猟民。ウィンクが上手。
弥生人の特徴:
背が高く、がっしりとした体形、手足や太く短い、毛髪は直毛、体毛は少なく、顔は丸型で彫りが浅い、一重瞼、血液型はA型が多い。農耕民。ウィンクが下手。
おいらはどちらの特徴もあるかな~。
見た目は弥生、O型だし性格は縄文かもね(笑)
私は顔は弥生顔だけど、他は縄文系かも。
血液型と性格はA型だけどね~。
おらの友達は不思議と縄文顔が多いな~。
血液型はB型ばっかりだけど。
気候変動
※氷期の名称について:
氷床コアからの推定気温と、ヴュルム・リス期などの氷期名称は年代が合わないため、あえて記入しないこととした(詳しい方ご教示ください)
現代は氷河時代
現代は氷河時代って、就職氷河時代とかそういった話!?
いえいえ、長い目でみると地球はいま寒い時期、約260万年前から現代にいたるまで、ずっと氷河時代なのです。これを第四紀氷河時代(または新生代氷河時代)と呼びます。
氷河時代の中にもさらに寒い時期(氷期)と暖かい時期(間氷期)があります。
つまり、現代は氷河時代の間氷期なのです。
日本列島に人類が来た頃は?
日本列島に人類が渡って来たと考えられている、4万年前は最終氷期のなかでも気温が低い時代です。上の表からも現代よりも10℃近くも寒い時期であることがわかります。気温の低下に比例して海水準は100m以上下がり、日本列島は大陸と地続きでした。人類以外の動物もこの時期に渡って来たと考えられます。
海進について
最終氷期が終わり、間氷期に変わったときに、縄文海進がおきています。その前の14~12万年前の間氷期には下末吉海進がおきています。二つの間氷期を比べても、下末吉海進がいかに大規模であったかが想像できます。気温も現代よりかなり高くなっていますね。これは、当時の日本列島は海進の影響で5m~10mも海になっていました。
大陸と地続きだった日本列島が、
プレートで移動した話もあるよね?
それは、旧石器時代よりも、はるか昔の3000万年も前のことだよ。
今の日本の形ができたのは300万年前といわれているね。
歴史もいいけど、
気象や地質学とかも面白くてはまっちゃうんだよね~。
あの~脇道にそれすぎて帰ってこないんだけど。
はまるのはいいんだけど、原稿はやく書いてよね!
古代の気温はなぜわかる?
なんで記録もない大昔の気温などがわかるんだ?
南極などの氷を掘って調べることで、わかるらしいにゃ
南極大陸は、約3,000m以上の氷が覆われた姿をしています。
各国の南極基地では、氷床(氷でできた地面)をボーリングして「氷床コア」を採取して、それを分析することで、当時の気候を推測してます。氷の気泡やプランクトンの化石に含まれる酸素や二酸化炭素を分析することで、当時の気温と海水準の変化がわかるそうです。また含まれている灰で火山活動を、放射性物質の量で太陽活動の指標もわかるそうです。
南極の基地は、ロシア・フランスチームの「Vostok」、欧州チームの「EPICA(ドームC基地)」が有名です。日本も「ドームふじ」での採集が行っていました。ドームふじは、山頂にあり正確なデータを採集が期待できますが、非常に厳しい環境です。そこで、南極の氷を約3,000m以上掘ることによって約70万年前の記録が採取されています。
この中には絶滅した未知のDNAが含まれていたりするそうです。
映画「ジュラシックパーク」を彷彿させますね。
旧石器時代の生活
狩猟生活
旧石器時代の日本列島には、人類が住む以前から、大型の哺乳類がいたことがわかっています。
ナウマンゾウや、オオツノシカ、ハナイズミモリウシなどの化石が見つかっているからです。もちろん熊などの動物もいました。人々は主にそれらの大型の哺乳類を狩猟をしながら、移動をして暮らしていたと考えられています。
大型の哺乳類たちは、大規模な気候の変化などが原因で数が減少していき、やがて絶滅してしまいます。人類の狩りの対象もより小さなイノシシやうさぎなどに変化していきました。
地域や季節によっては、魚や貝、木の実を食べていたことがわかっています。
うーんモンハンの世界だな!
鹿を狩って材料集めようみたいな!!
またマンモーとかいいだすんでしょ?(笑)
ナウマン象もいたんだから、
マンモー・・・じゃないマンモスもいたんじゃないかな~!?
「ムカシマンモス」という、
マンモスの祖先が日本各地に生息していたらしいよ。
ただし、人類が住む前の70万年前くらいに絶滅しているけれど。
住まい
寒い時期は、寒さをしのぐために、木の陰や、岩陰、洞窟などで火をおこして過ごしていました。
暖かい季節には、現代でいうキャンプのような暮らしをしていたと想像できますね。
遺跡が発見されていることから、旧石器時代後期に入ると竪穴式住居に住んでいる人もいたようです。狩猟よりも木の実や魚がなどがとれる地域なら、定住する人もいたでしょうね。
ちょっと思いついたんだけど寒い時代だし、
温泉が近くにあったら住みやすいんじゃないかな?
火山活動も活発だし、旧石器時代の人も温泉に入ってただろうね~。
あ~温泉いきたいな~(ちらっちらっ)
そうだね~最近は温泉もいってないよね。
たまにはいきたいね~(笑)
衣服
旧石器時代は、現代よりも寒冷な気候でした。しかし、一年中雪が降っているというほど寒くはありません。現代よりも7~8℃程度低かったと考えられています。関東地方北部のあたりの気候が北海道くらいの寒さだったそうです。
冬は長く厳しいので、人類も生き抜いていくためには、やはり毛皮や草、木の皮などを身に着けていました。海外では皮の靴をはいていたミイラなども発見されたそうです。
まとめ
旧石器時代の後期には、日本列島には人類はたどりついて、狩猟生活をしていた。
気候変化についていけなかった大型の哺乳類は絶滅していった。当時の日本列島は寒く火山活動が活発な厳しい自然環境であったが、大型動物たちの楽園でもあった。
人々の生活も変化していき、小動物を狩ったり、農耕を行うための知恵と工夫を身につけていった。
こうして旧石器時代は終わりを告げ、温暖な気候のもと土器を活用した生活を行う縄文時代へと移り変わっていった。
アジアのはてにある日本列島。長い年月をかけて進化の旅を続けていった一部の人類は、大陸と地続きであった日本列島に渡った。
日本人の祖先たちは「自分の足で歩いていけるところまで行ってみよう」と考えたのだと思う。
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