弥生時代の特徴は弥生土器の使用・稲作の開始・金属器の使用・身分の格差などがある。
稲作開始は従来より100年ほど早いことがわかってきた。
強い首長が率いた原始的な国家が誕生した。
弥生文化の発生
北部九州に紀元前9~10世紀に弥生文化が誕生 → 250年後に西日本各地に伝わる。
山陰・瀬戸内…紀元前7世紀
河内平野…紀元前750年~550年頃
濃尾平野・伊勢湾西部…紀元前6世紀に広まるが いったんここでストップする。
東日本関東地方西部…紀元前3世紀
神奈川県小田原市の中里遺跡ー遺跡パークはあるが実際の遺跡
は見ることが出来ない。だが、畿内の影響力大。中央から入植。
その後、紀元前2世紀には、関東地方西部一円に弥生文化が広がった。

弥生人はどこから来たの?

半島からの渡来人が弥生人ではないかとおもってるよ~
学説的に多いのは、西日本は渡来系人種(弥生人)、北海道、沖縄は縄文人種、東日本は両者が混雑した中間種という学説が多いです。
稲作の始まりは、縄文末期にすでに始まっていたことを考えると100年早まるというのが今の通説になってます。最初の頃は用水路もないでしょうし、収穫は微々たるものだったという事もわかってますし、そのほかにこれは私の想像ですが、あわやひえといった雑穀もあったんじゃないでしょうか?収穫量の多さにもよって身分の格差も出てくるのがこの時代からです。
弥生人の生活
稲作が始まったといっても収穫量はどれくらいかというと、今のようにはいかず、とてもすくなったようです。
というのも一日の米摂取量が弥生前期では現在のカップで換算すると約1/10カップ程度になり中期でカップ3/5カップ~1カップ程度、後期でも2カップは超えることはなかったそうです。足りない炭水化物は木の実などを収穫していたようです。
縄文時代の貝塚は消滅傾向にあり外洋漁業が優勢になりますのアワビやサザエなど潜水して取る魚介、カツオ、サメなどの回遊魚、沿岸から釣れるマダイが出土しています。
釣りで使ったであろう「釣り針」「銛」「ヤス」などが出土しています。東北地方では回転式銛頭が出土しています。きっと盛んに漁業がおこなわれていたんだと言う証拠なのでしょうね。
淡水魚の漁業
水田や用水路を作っていく中で、淡水魚の漁業も生まれてきたのが弥生時代になってからです。ドジョウやタニシ、コイ、フナ、ナマズなどを捕獲したようで、その時代の漁具も出土しています。
農耕は農耕、漁業は漁業と職業が分かれてきたのもこの時代からです。水田耕作には多くの人出を要することから共同体は巨大化していきます。また道具も色々発展行きます。村ではこうした倉庫も作られるようになります。(高床式倉庫)↓

高床倉庫
弥生時代は戦乱の世でもあった
稲作がはじまり、クニができるとクニ間の戦争もおこりはじめました。稲作には多数の人でも必要ですし、農耕するためには土地もどんどん広がっていく中でやはり争いが発生してしまうみたいです。武器の傷をうけた痕跡のある人骨(受傷人骨)の存在などは、戦争の裏付けです。
道具としては、石器・青銅器・鉄器・土器・木器などがある。
石器
縄文文化より伝わった打製石器を中心とする一群と磨製石器の一群(大陸系磨製石器)がある

磨製石器 出典「Wikipedia」
磨製石器は石包丁や石鎌などといった農具があり、水耕水田が盛んになり、開墾や耕起、収穫に用いられる道具として、弥生時代になって新たに導入された道具類です。
青銅器
青銅器は大陸から北部九州に伝わりました。銅矛や銅剣・銅戈などの武器形青銅器が多く伝わりました。

銅矛(島根県立古代出雲歴史博物館の展示)
当初の銅剣や銅矛など武器形青銅器は、所有者の権威を示す象徴的なものでした。それと同時に刃が研ぎ澄まされていたことなどから実用武器としても使われていた可能性が高いです。
青銅器の多くは祭祀用が多く、当初より銅鐸・銅鏡が多い。鏃や農具など小型のものは大型のものより出土量は少ないです。
鉄器
弥生時代中期前半までは北部九州で工具を中心に一般化がおこり、後期以降に西日本全域に拡散する。
武器や農具としても採用されるようになりました。この頃の鉄器は朝鮮半島より鉄を輸入しており、自力で製鉄ができるようになるのは、古墳時代後期になると言われています。
弥生時代後期には、玄界灘沿岸地域の遺跡から鉄器が大量に出てきますが、瀬戸内海沿岸各地方や近畿地方の遺跡からはごくわずかしか出てきません。玄界灘沿岸地域が鉄資源入手ルートを独占していたと推定されています。
なので鉄資源の入手ルートの支配権を巡って戦争が起こったのではないかと考えられていますが、今はまだ考古学的に立証することができていません。

稲荷山古墳出土鉄剣(国宝)
武蔵埼玉稲荷山古墳出土品
土器
弥生式土器という名前は、発見場所の地名から来てます。
特徴としては、縄文土器に比べて薄く固く作られてる。色は薄い褐色です。
使用目的は貯蔵・保存・煮炊き・供え物用に作られました。

弥生式土器
まとめ
弥生時代の文化を調べてくると、今現在の生活と変わらないシステムができつつあったことがよくわかります。稲作をすることにより、大勢の人たちが必要になり、村が出来、国が作られることにより、作物などの出来高により、ほかの国も吸収合併しようとこの時代から戦争も起こるようになります。
青銅器や鉄器などの武器もありますし、なによりもお墓も共同墓地なども作られ始めその中にある副葬品も武器や鏡などが多く出土しています。そして女性より男性の墓が圧倒的に多いそうです。
そしてこの続きとして次は邪馬台国を取り上げてみようと思います、ではこの辺で。
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