これまでに、横浜にある二つの遺跡「三殿台遺跡」と「大塚・歳勝土遺跡」をご紹介してきました。どちらの遺跡も高台にあったのが印象的でした、だって坂をのぼるのがそれなりに大変だったので。今回は、そんな疑問から始まった古代の横浜の海についての話題です。
そういえば、遺跡ってなんで高台にあるんだろうね~。
山で狩りをしてたとか、見張りをしやすいとか?
運動は苦手だ~。坂をのぼるの大変だったにゃ!
理由は騎竜が調べてみてはどうかな?
そういえば、以前に「神社」がある場所は、
昔からある土地だって話もしていたよね?
そうだね。神社は階段をあがった上にあることが多いね。
(理由は知っているけど今は黙っておこう)
・つまり海だったので、高台に住むしかなかったのです。
・・・うすうす、そんな気はしてたけど、
具体的にどんな感じだったのかな?
ふとした疑問を調べていくうちに、予想外に大きなスケールの話となります(笑)
縄文海進(じょうもんかいしん) およそ6,000年前
地層などの調査により、約6,000年前(ちょうど日本の縄文時代前期)に縄文海進※といわれる現象がおきていたことがわかっています。この海進により現在の標高の4~6m程度(諸説あります)の場所まで海だったそうです。
海進が起こった理由は、地球温暖化の知識から、気温・水温が上がって海水が膨張したとか、北極・南極の氷が解けたと考えがちですが、それだけではないそうです。
長い期間でみると地球は氷期(氷河期)と間氷期(現代のような温かい時代)をおおよそ10万年の周期で繰り返しています(上画像参照)
2万年前に最終氷期(一番最近の氷期)が終わり、氷期に凍った各地の氷床が解けていきました。
現代よりも120mも低かった海水の水位は、1万4000年をかけて徐々にあがっていきました。
そのピークが6000年前の縄文海進ではないかと言われています(下画像参照)
氷河期って聞いたことあるよ!
マンモーを追いかけてるやーつ!
それを言うならマンモスじゃ!!
マンガ肉ってどこの肉なんだろうね~
鼻の肉なのかな~!?
ぜんぜん話、聞いてないし~(笑)
横浜の今と昔の海岸線
横浜といえば、「みなとみらい地区」をはじめとした、港をイメージされる方も多いかと思います。観光名所もたくさんありますね。現代と比べて縄文時代の海岸線はもっと陸地側にあったのです。その様子を地図で再現してみたいと思います。
※あくまで現代の地図をもとに再現しましたので、正確なものではないことはご承知おきください。
現代
濃い青の線は、現代の海岸線を表しています。埋め立て地なので人工的な形をしていますね。
西区には「みなとみらい地区」、中区には「赤レンガ倉庫」や「山下公園」などの横浜のイメージが強い観光地があります。そのほかの臨海部にも、多くの港湾施設や工場・倉庫などがあります。
たまには中華街で美味しいもの食べたいにゃ!
おみやげは重慶飯店の肉まんと月餅がいいな。
近くに住んでいると意外と行かないんだよね。
たまには行ってみようかね~。
ここで注目していただきたいのは、横浜市で一番大きな川の鶴見川です(地図北側)
鶴見川は、鶴見区に河口があり、横浜北部の各区やお隣の川崎市の支流と合流しています。源流は東京都町田市です。この川が縄文時代には大きく変化します。
縄文時代(およそ6000年前)
黄緑の線が、縄文時代の海岸線の予想ですが、かなり衝撃的ではないでしょうか?
縄文時代には、海岸沿いの地区はかなりの範囲が海なのがわかります。
現在の中区で陸なのは、港の見える丘公園などがある山手地区です。鶴見区は半島のようになっていますね。お隣の川崎市や東京都の海岸沿いの地区も海でした。
鶴見川は、港北区・都筑区の一部まで海であったことがわかります。古鶴見湾と呼ばれるようです。
各地の様子をピックアップ
こちらは、大岡川を中心とした地図になります(縄文時代より後の遺跡も含まれています)
三殿台遺跡周辺の近くまで海だったことがわかります。中区にある貝塚も海沿いに点在していますね。飲み水や貝や魚などの海産物を得るために川沿いに住んでいたのが想像できます。横浜駅周辺は大雨で何度か浸水していますが、当時は帷子川の河口は海だったのでしょう。
こちらは、鶴見川を中心とした地図です。
大塚・歳勝土遺跡をはじめ、鶴見川と支流の周辺には多くの遺跡が発見されています。
とくに海岸線付近に遺跡が点在しているのがわかります。興味深かったのは、綱島の周辺です。当時は地名の通り、「島」だったことがわかります。
まとめ
遺跡が高台にある理由について、横浜を中心に現代と古代の海岸線を比較してみましたが、いかがでしたでしょうか?
現代の地図から推測するだけでも、遺跡がある場所は「当時の海沿い」=「現代の高台」だったことがわかりました。
長い年月をかけて海岸線は現代の位置にまで広がっていき、海の底だった場所には、平地ができました。普段見慣れた風景も視点を変えてみると、当時海岸線だった場所は、浸食で切り立った崖のようになっているのがわかります。
縄文時代に海だった場所は、現在の平地です。治水が進んだ現代であっても、利便性が良い代りに、津波や大雨による浸水のリスクがあるようです。皆さんのお住まいの場所は、昔どんなところだったのか、考えていただければ幸いです。
今回のお話よりもっと昔におきた、下末吉海進と呼ばれる海進があります。鶴見区の下末吉に住んでいたことがあります。こちらについては別の機会にお話しできればと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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マンモーがツボりました!w