【日本の史跡101選】大塚・歳勝土遺跡公園で弥生時代の歴史体験

高床倉庫 旅行記
大塚・歳勝土遺跡の高床倉庫

大塚歳勝土おおつか・さいかちど遺跡公園とは?

喜ぶ「あいごぽん」

横浜市公園愛護会 マスコットキャラクター 「あいごぽん」

まずは大塚・歳勝土遺跡公園の歴史からご紹介します。
横浜市が1965年(昭和40年)に発表した「港北ニュータウン」都市開発事業にともない、1972年(昭和47年)からの発掘調査で、弥生時代の遺跡「大塚遺跡」が発見されました。
隣接する「歳勝土遺跡」も、調査により大塚遺跡の住民の墓地であることが判りました。これらは貴重な遺跡であるとして1986年(昭和61年)に国の史跡に指定されました。

遺跡周辺を「大塚・歳勝土遺跡公園」として整備して、1996年(平成8年)に開園。現在まで、大塚・歳勝土遺跡公園愛護会の皆さんの手によって日常的な管理がされています。横浜市公園愛護会のマスコット「あいごぽん」もかわいい♪

大塚遺跡は、弥生時代の環濠集落かんごうしゅうらくの跡。竪穴住居・高床倉庫があります。
歳勝土遺跡は、大塚遺跡の人々の墓地方形周溝墓ほうけいしゅうこうぼ群」です。
・遺跡近くに住んでいた江戸時代の名家の古民家を移築した都筑民家園
・体験学習ができる工房などがあります。
・園内には売店はありません。飲み物などは前もって用意しておきましょう。

大塚・歳勝土遺跡公園へ

遺跡公園への行き方
大塚・歳勝土公園看板大塚・歳勝土遺跡公園の行き方。横浜市営地下鉄「センター北駅から歩いて8分ほどです。センター北駅は、ブルーライン・グリーンライン両方の乗入駅です。
車だとショッピングモールの「ノースポート・モール」駐車場が便利です(1時間400円ですが、買い物を2000円以上で2時間無料)博物館通りの歩道橋を渡れば公園入口です。

博物館入口横浜市歴史博物館は、2019年8月1日~2020年3月31日まで改修工事のため休館しています。確認したところ駐車場も閉まっていました(せめて駐車場だけでも使えれば1時間200円とお得だなのですが…)改修後のリニューアルした展示が楽しみです!

遺跡への道
坂道1坂道2
木々のおかげて夏でもわりと涼しげですが、坂道なのでそれなりに大変です。
のんびりいきましょ~。

広場坂道を登りきると、広場になっていました。木陰にベンチがあるので小休止。
広場の奥には、柵で囲まれた盛土があります。どうやらあれが歳勝土遺跡のようです。

この日は天気も良かったので、青空と緑が目に優しい♪
木陰にレジャーシートを敷いて、お弁当を持ってピクニックにも良さそうです。

歳勝土遺跡(方形周溝墓)

方形周溝墓歳勝土遺跡の方形周溝墓です。方形周溝墓とは、埋葬地に土で塚を築く墳丘墓の形式で、方形低墳丘墓とも呼ばれます。弥生時代から古墳時代まで続いたとされていて、方形の四辺に溝を掘り、中央に盛り土をしてあります。棺は盛り土の中央に埋葬されたそうです。

遠目にはオンが難しいグリーンのような。ゴルフやったことないですけれど。

方形周溝墓の内部
内部の様子がわかるように復元してあるもの(左)や、復元せず周溝の位置が表示してあるもの(右)もありました。起源についてはわかっていないことが多いそうですが、これらの墳丘は大型化していき、権力者のための前方後円墳に発展していったと考えられています。

大塚遺跡(竪穴住居と高床倉庫)

環濠集落
大塚遺跡看板
大塚遺跡の周囲には堀がめぐらされています。堀の外側は堀を掘った土が盛ってあり木の柵を設けていました。このような形態の集落を環濠集落というそうです。
発掘当時には台地の淵にそって外周600mにわたり囲われていたそうです。また発掘調査の結果、火災の痕跡があることから、大きな争いが起こって外敵から集落を守る必要があったと考えられています。

橋柵
今も大塚遺跡の周辺は堀と柵で守られています。開門時間は9時~17時なのでご注意を。

竪穴住居跡の再現
竪穴住居跡
竪穴住居跡が再現されていました。三殿台遺跡では、建物に入っていて触ることが出来なかったのですが、ここでは実際に触って体験できますね。
発掘した住居跡の型を取って再現したとのことです。手が込んでいて色まで似せてあるそうです。
穴がたくさんあいているのは、住居を拡張した跡です。奥の2本の溝は通路と考えられていると、案内板には書いてありますが、ちょっと狭すぎると感じました。排水のために作られたのかもしれませんね。
復元竪穴住居
Y-80号住居比較的大型の復元された竪穴住居が6軒あります。写真は「Y-80号住居」でかなり大きい。それもそのはずムラ長の住まいだったそうです。現在では遺跡の西端にありますが、当時は集落の中心付近でした(この件に関しては、後に解説します)

村長の家の中中は薄暗いのですが、目が慣れてくると見えてきます。さすが村長の家の中は結構広い。集会なんかも開いたと考えられているそうです。通気性が悪いのかすこしかび臭いですね。当時も湿気には悩んでいたそうですから、そういった意味もリアルです。
入口は木製の階段なのですが、幅が狭いので足元には注意してください。入口の脇はなにやら工事中?!

土器1土器2
他の住居には、わりと無造作に土器が置いてあるところもありました。注意書きとか説明はなにも書いていません。
もしかして土器の制作体験をやったことがあるらしいので、その残りなのかなと思いましたが、再現したものでちゃんと下のコンクリートに固定してあるそうです。

復元高床倉庫
高床倉庫 全体
収穫した稲などの穀物を湿気やネズミなどから守るために作った高床倉庫です。以前に行った三殿台遺跡にはなかったので感激です。

高床倉庫 返し
高床倉庫 入口
入口は木を削りだして作ったはしごがあります。このはしごは竪穴住居でも使われていました。もしかしたら普段は外してあったのかな~と想像しました。あと、残念ながら中には入れません。

でも、気になって隙間から中をのぞいてみましたが、なんにもありませんでした(笑)

都市開発による遺跡周辺の変化

開発前後の変化を地図で比較
遺跡周辺の比較地図

この地図は、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」((C)谷 謙二)により作成したものです。

左の地図は、横浜市が都市開発事業を発表した1965年ごろの遺跡周辺の地図です。
右の地図は、遺跡公園が開園した2年後の1998年ごろの地図です。

昔の地図をみると遺跡の周辺一帯は台地だったことがわかります。地下鉄のセンター北駅やショッピングモールはもちろんとして、南北に通っている幹線道路「歴博通り」もありません。東西に流れている早淵川も拡幅されていますね。

今回の開発前後の地形比較で使用させていただきましたソフト、
時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」((C)谷 謙二)は、見ているだけでも面白いです。皆さんがお住まいの昔の地図もぜひ見てみてください。意外な発見があると思います。
切り通しされた歴博通り
歴博通りの切り通し

歴史博物館と遺跡公園を結ぶ歩道橋からの眺め。遺跡西側が切り取られている様子がよくわかります。利便さと引き換えに遺跡が失われたのは、少し切ない感じもします。

大塚遺跡の保存整備
大塚遺跡の保存整備

大塚遺跡の西側は切り通しにより消滅しました(地図左側の薄くなっている部分です)
ムラ長の家は集落の中心の広場付近にあったことがわかります。

工房

工房工房看板
広場の先には工房があります(階段以外にもスロープもあります)博物館が休館しているので、各種体験教室はこちらで開かれています。3家族くらいが参加していました。

個人的には勾玉造りをやってみたかったのですが、開始時刻を過ぎていましたので、体験教室に参加される方は、先に開始時刻の確認をしてから行った方がよいですね~。

まとめ

踊る埴輪たち

作画:REON様


大塚・歳勝土遺跡では、この地域の歴史の片鱗を知ることができます。
公園入口の案内には、近隣には数多くの遺跡があると記されています。

駅前の便利な場所にありながらも、身近に歴史に触れあうことができる緑ゆたかな魅力的な場所です。横浜市歴史博物館は、2019年8月現在は休館中ですがリニューアルが終わったらぜひ見学にいきたいと思いました。

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