【横浜市三殿台遺跡】丘の上の気軽に行ける遺跡【入場無料】

竪穴住居(弥生時代) 旅行記
竪穴住居(弥生時代)

横浜市三殿台遺跡さんとのだいいせきとは、どんなところ?

・横浜の住宅街にある、縄文~弥生~古墳時代の三つの時代に渡って続く遺跡
・併設の資料館三殿台考古館では、出土した土器や石器を展示
・それぞれの時代の竪穴住居が再現されていて、実際に住居の中に入ることができます。
・遺跡と考古館の入場料、駐車場、解説、すべて無料です!

お子様の課題のネタにはもちろん、思い出作りにもおすすめです!

横浜市三殿台考古館

考古館

正門を入るとすぐに、こぢんまりとした資料館「横浜市三殿台考古館」があります。
係の方が常駐していて、展示資料について30分程度の解説をして下さるそうです。
他の方が解説を受けていたので、撮影をしながら聞き耳を立てていました(笑)

土器・石器
なんと、本物の土器にさわれます! 結構ずっしりしています。
貴重な遺物ですから両手で持ってください(写真はダメな例ですよ)
縄文土器の特徴である縄の跡が良くわかりますね。
石斧
石斧、たたき石、磨石、石皿、石匙と、みんな石で出来ています。
こんな石斧で狩りをしていたのを想像すると、胸熱ですね~。
左手前の打製石斧は旧石器時代からのもので、左奥の磨製石斧に進化していったそうです。
石剣
石剣は柄しかないから、刃はどうなっていたのかな?
重さや耐久性からして実用ではなく儀礼用との説もあるとのこと。
首飾、耳飾、垂飾は重そうです。こちらも儀礼用なのかな?(耳たぶが伸びそう!

注口土器

注口土器ちゅうこうどきは、構造としては現代の急須と同じですね。
土器は簡単な形だけでなく、こんな複雑な形も作れた技術に驚きました。
この土器を使ってどんな飲み物を飲んでいたのでしょうか?

竪穴住居(復元住居)に入ってみた!

縄文時代(紀元前3000年ごろ)
縄文時代竪穴住居全体
縄文時代の竪穴住居(復元住居)の外観は丸くてとてもかわいい
雰囲気としては、雪で作るあの「かまくら」みたいな感じです。
壁がなく全体をかやで覆っているので、茅葺屋根かやぶきやねの家の屋根だけといった印象です。

縄文時代竪穴住居入口
出入口は風が入らないように、ちょっと低いのかな?ベルは小柄だから余裕ですね。
当たり前かもしれませんが、中はかなり暗いので足元に注意してください!
出入口の天井には網棚みたいなものがあります。

 
縄文時代竪穴住居内部と屋根
木製の柱と竹製の梁・垂木が麻紐で留められています。復元元の床は五角形だそうです。
梁は天井付近で一か所にまとまっています。とてもシンプルな構造となっています。
屋根の通気口部分から光が入るので目が慣れてくると見えてきます
弥生時代(紀元後1世紀ごろ)

竪穴住居 弥生時代
弥生時代も住まいは竪穴住居です。縄文時代と比べると出入口の形は滑らかな印象です。
出入口付近の屋根には、樹皮が被せてありますね。
高床住居や倉庫は、一般人には広まっていないのかな?

弥生時代竪穴住居出入口と内部
入るといきなりの階段。バリアフリーなんてない時代ではないですもんね。
中には柱が4本あるので撮影しにくいとても丈夫な作りです!
周りに溝が掘ってあるのも、きっと何か理由があるんでしょうね。

古墳時代(紀元後7世紀ごろ)


古墳時代の竪穴住居の外観が四角。屋根は樹皮でしっかりと防水されていて、形も他の時代と比べて複雑で、かまどの煙を出しやすような構造です。
このような入母屋造(入母屋屋根)は、後の時代にも受け継がれて、今もお寺などに使われていますね。

古墳時代竪穴住居内部
家の中は、現代と同じ四角形(方形)をしています。
部屋の奥には粘土で作った妙にすべすべなかまど」がありました。
この時代には、農耕をしていたので、ここでお米を炊いていたんでしょうね。

余談 あれ「式」がない!?

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、文中の「縄文土器」や「竪穴住居」などの単語の間に「」がなくなっていますよね?わたしが学校で習った頃は、「縄文式土器」とか「竪穴式住居」なんて教科書に書いてあった気がします。

これには理由があって、例えば同じ縄文時代の土器でも、年代や地域によって特徴が違います。そうなると、縄文土器〇○といった感じに式が二重にあってややこしいことになりますね(という感じのことを考古学の偉い先生が提言したらしい)
今では、「式」なしの呼び方が一般化したので、教科書では「」がない表記となっているそうです。式がついていても、間違いではないみたいですね。

住居跡(遺構)も見ごたえあり

遺構全景
遺跡の発掘調査後は、そのままでは風化してしまうので、埋め戻されて整備されています。
住居跡の形がわかるように、杭が埋められています。かなり広いので発掘調査は、相当大変だったのは想像に難くないですね。
入って良いのか判らなかった撮影当日はあいにくの雨だったので、入りませんでした。

住居跡保護棟
赤い屋根の建物では、発掘当時(1961年)の埋め戻されていない住居跡が見学できます。
他にも発掘当時の写真や、遺物の展示もあります(注:建物の中には入れません

ゆずファンの聖地?
この遺跡もアルバムのジャケット写真で使用。ゆずのお二人は、遺跡のある岡村出身で、隣接する小学校の出身だそうです。ゆずファンの方が訪れるのだとか。
いずれにせよ住宅街ですので、迷惑をかけないようマナーには気を付けたいですね。

どうやって行くの?

徒歩での行き方

横浜市営地下鉄ブルーライン蒔田駅から1.5km(徒歩で20分)
道中に坂や階段があるので、もう少し時間がかかるかもしれません。
目的地付近の階段で近道できます。

バスでの行き方

横浜市営地下鉄ブルーライン弘明寺駅より、横浜市営バス4番のりば
①219系統「 みつが丘中央(三殿台公園経由)」行き、「三殿台公園」バス停下車徒歩3分。
②219系統「 弘明寺(三殿台公園経由)」行き、「三殿台公園」バス停下車徒歩3分。
時刻表によるとバスは30分に1本程度出ています。乗車時間は5分ほどです。

車での行き方

神奈川県道21号線(鎌倉街道)から
①弘明寺駅付近の旧道入口交差点から行くルート。バス通りで、比較的道幅も広くお勧めです。
②徒歩ルートと同じ蒔田駅付近から行くルート(下記要注意
※徒歩ルート地図の中央黄色部は、7~9時・15~19時は一方通行ですので帰りは迂回が必要。
※岡村小学校の入口から先は、道路幅が狭いので注意が必要です。
駐車場は5台分あります(無料)

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