【飛鳥文化】 仏教から始まるきらびやかな文化の幕開け

飛鳥寺 飛鳥時代
飛鳥寺

飛鳥時代に仏教が伝わることにより、「仏像」「寺院」が壮大になり、服装も貴族と庶民とでは大違いになってきます。この時代から貧富の格差も出てきたようにおもいます。当時の食事や服装などもなるべく調べてお伝えします。

 

三宝興隆の詔 仏教文化の幕開け

594年推古すいこ天皇が仏教の功徳によって国政を改革しようと「三宝興隆の詔さんぽうこうりゅうのみことのり」を発した。これにより斑鳩いかるがに法隆寺。蘇我氏の飛鳥寺、秦氏の広隆寺など各豪族たちにより氏寺が建立される。

釈迦如来像(飛鳥大仏)

飛鳥寺 銅造釈迦如来坐像

飛鳥寺 銅造釈迦如来坐像

それに伴い仏像制作も盛んになり飛鳥寺の釈迦如来坐像しゃかにょらいざぞう(飛鳥大仏)などが有名である。真正面を重点的に作られてるため、同時代後半よりもすこし雑な感じはしますが、これも飛鳥文化の幕開けには欠かせない仏様なのです。

ベルにゃんこ
ベルにゃんこ

この大仏さまねぇ~奈良や鎌倉の大仏さまより小さいにゃ~

騎竜
騎竜

出たな!ベルにゃん。というかどこ行ってたの?

ベルにゃんこ
ベルにゃんこ

ご主人さまたちが、現地にいけにゃいから、
ニャーがいろいろ見てきたのにゃ。

騎竜
騎竜

何をみてきたの?

ベルにゃんこ
ベルにゃんこ

玉虫厨子だにゃ~。食べるものじゃにゃいよ!

玉虫厨子

法隆寺 玉虫厨子

法隆寺 玉虫厨子

 
 
 
法隆寺所蔵の飛鳥時代の仏教工芸品。名前の由来になった「玉虫」の羽を使用したことから「玉虫厨子ずし」と呼ばれてます。
 
厨子とは?
 
屋内に置く仏像などを収めておく屋根付きの置物です。お仏壇は屋根はないけど、それに近いものだとおもいます。
 
写真はもう装飾も何もなくなってる状態の国宝玉虫厨子ですが、複製されたものもございますので興味がある方は検索してみるといいかもです。(きれいな画像でのフリーがなくてごめんなさい)
 
 

天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)

中宮寺 天寿国繍帳

中宮寺 天寿国繍帳

 
 
中宮寺が所蔵する飛鳥時代の染色工芸品です。
 
 厩戸王の死を悼んだ橘大郎女たちばなのおおいらつめが作らせたものである。天国で厩戸王がこうして暮らしてるんじゃないかという刺繍したとばりの事をいいます。
 
 制作当時は2×4メートルあったらしく現存するのは80センチ四方のものしか残されていなく、これもまた国宝です。
 
 
 

弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)

中宮寺 菩薩半跏像

中宮寺 菩薩半跏像

仏像の形態の一種で台座に腰掛けて半跏はんかの姿勢で物思いにふける形態をしてる仏像。弥勒信仰として6~7世紀に日本に入ってきて飛鳥・奈良時代に多くの作品が作り上げられたそうです。

 

広隆寺の宝冠弥勒(ほうかんみろく)

広隆寺 宝冠弥勒

広隆寺 宝冠弥勒

この仏像が一番有名かなぁ。美術の教科書や切手にもなってるはずです。この仏像当初は日本で作られたものだと思っていたのですが、当時の仏像は楠で作られてるの対してこれは赤松で作られてることから623年に新羅から入ってきたことが明らかになった。広隆寺は、秦河勝はなたかわかつが建立した寺で新羅系渡来人だったことからも明らかです。

ベルにゃんこ
ベルにゃんこ

ここまで 調べて飛んできたにゃん!

 

 

飛鳥時代の生活

服装・食事などを調べてみたいと思います。貧富の差がかなり出てきたとおもいます。庶民は色付きの服など着たことがなかったことでしょう。

庶民の服装

復元された貫頭衣

復元された貫頭衣
出典「©YOSHINOGARI HISTORICAL PARK

庶民の服装は、弥生時代からあまり変わりはなく麻などの布に首の部分だけ切り抜いた貫頭衣という服装をしてました。腰のあたりで紐で縛っていたようです。

貴族の服装

飛鳥時代後期の服装

飛鳥時代後期の服装
出典:© Nara Visitors Bureau

高松塚古墳から出土した壁画のような装束を宮廷ではしていたようです。身分によって色がちがっていたようです。髪は上部で膨らませた形が主流でした。

 

飛鳥時代 男性服装

飛鳥時代 男性服装
出典 © Nara Visitors Bureau

男性の宮廷衣装は持ち物が決まって、服装の色も階級で違っていたそうです。頭には黒い帽子をかぶっていました。上着の下には袴のようなものを身に着けていましたが、今風の袴ではなくズボンに近いものみたいです。

飛鳥時代の食

農耕が始まっていたのでご飯はあったとおもいますが、そのほかのおかずとかきになりますよねぇ。よくテレビでも紹介されるのが「古代にもチーズがあった!」と紹介されるです。

蘇の作り方はとても簡単ですが、手間がかかります。牛乳を煮詰めるだけです。ずーーうっと焦がさないように煮詰め、トロトロにいい感じの固さになったら型にいれておくだけだそうです。

古代米

古代米

古代米
出典:© Next Library Corporation

ベルは実は以前住んでいた群馬でこれを食べたことがあります!どんな味かというとですね、見た目通りすこし赤飯に近いですが、もち米ではないのです(笑)

もちもちしておいしかったのだけはたしかです。コシヒカリやササニシキのような甘さはありませんでしたが、毎日食べてもいいかなぁ?(笑)

貴族の食事

飛鳥時代 貴族の食事

貴族の食事
出典:© Next Library Corporation

貴族の食事です。先にご案内した「蘇」やデザートの果物のほか鯛やアワビ
鮎などの山海珍味を毎日味わっていたため、成人病も多かったそうです。

役人の食事

飛鳥時代 食事

役人の食事
出典 © Next Library Corporation

主食は玄米。イワシの煮つけやキュウリの漬物と塩は調味料だそうです。
この頃はまだお箸がなくて木製のスプーンで食事をしていたらしいですが、魚もスプーン
なんでしょうかねぇ??味噌汁もあるし、もう味噌があるんですね。

庶民の食事

飛鳥時代 庶民の食事

庶民の食事
出典:© Next Library Corporation

弥生時代からあまり変わらない食事だそうです。役人の食事と比べて味噌汁ではなく
海藻(ワカメやその他)の海藻汁だったそうです。ほかは茹でた野菜のみ一汁一菜の食事だったらしい。地方から都での仕事にかり出されてきたのにちょっと粗末なのか豪華なのかわからないですね。

飛鳥時代の鍋

飛鳥時代の鍋

飛鳥鍋
出典:© Next Library Corporation

飛鳥鍋のスープは牛乳だそうです。事の始まりは唐から来た僧が寒くて始めたのは始まりらしいです。そして今でも現地で食べられるそうですよ?

まとめ

飛鳥時代には今の日本の基礎になるような政治形態や食事の仕方などが確立されていくけれど、庶民の生活は弥生時代という貧富の差が目の当たりになってきた時代ともいえます。現在も貧富の差がある世の中、カップ麺を1こ500円とか言う方々に貧富の差の解消はできるとは思えないんですがこの時代から連綿と続いてるんですねぇ。

美術品はというと、飛鳥時代前半の鋳造技術から後半を比べると、技術が格段に上がってることがあります。前半は全面を重点的にしているのにたいして、時代の後半からは360度全部において美しく鋳造をしてるところがものすごい進歩だとおもいます。

 

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