平安時代の陰陽師の仕事とは、TVや映画で見られるような格好良さは実際にはなく、今でいう政府お抱えの官人の仕事の一種であります。(〇〇庁や〇〇省などのお役人です)
大まかにわけて、「指揮・統括」その下に「陰陽部門」「暦部門」「天文部門」「漏剋部門」にわかれます。
それでは それぞれ詳しく見ていきましょう。ちなみに安倍晴明は陰陽部門ばかりではなく違う部門にも所属していました。現在と同じく異動があったという事ですね。
組織図
陰陽部門が一番人を使っていたのが一目瞭然ですね。ちなみに清明は天文部門の所属でした。
陰陽師たちの仕事 その1
先の組織図をみると、漫画や映画での陰陽師とは違うなという事に気が付くとおもいますが、天文・漏剋・暦も陰陽寮の仕事には欠かせない仕事でした。
主に天皇や貴族が依頼していたのは1年のうちにどの日が凶日か一日のうちでどの時間が凶時かという事でした。その日や時刻には物忌みといい、行動をすることをやめていたそうです。
そのほかにも日本に生きているすべての人たちに共通する凶日も凶時も存在していたので、その日を見ながらどの日が吉日かという事を選び出すのも陰陽師の仕事でした。
安倍晴明が史料に登場するのはこの日時勘申という天皇に忌日をお知らせする書簡を届ける事だったそうです。
そのほかにも、方位勘申もありますし、天皇・貴族たちの禁忌管理を仕事をするようになっていったそうです。
TVや映画みたいに式神をとばすとかやらなかったの?
月日や時刻を重要な要素にしていたので、月日や時刻の確定は必要不可欠な作業である。
天文部門
古代の人々は天文や気象の異変を何かの予兆としていたので、観測することはとても重要なのです。そのことをもとに卜占をするという事も含めています。
陰陽師たちの仕事 その2
「禁忌管理」に伴っての仕事は、本来の陰陽道になります。物忌みを祓うのも仕事です。この「悪いものを祓う」という事が本来の仕事なんのです。
陰陽師たちには「官人陰陽師」と「法師陰陽師」というものがあります。安倍晴明は「官人陰陽師」です。陰陽寮で仕事をしてきた人は部署がかわり引退したとしても、世間の中では「陰陽師」とよばれ、直接の仕事ではない部署に居ても「勘申」「呪術」を依頼されたそうです。
TVや映画のドラマチックな活躍に当たるのが呪術です。平安の都には百鬼夜行や相手を呪い、病気にしたり出世を妨げさせるものもあり、それらを祓うのが「呪術」にあたります。
今昔物語などには、安倍晴明は一条戻り橋のたもとに「式神」を住まわせていたとか幼少期に「百鬼夜行」を見たとか色々ありますが実はとても地味な仕事をこなしていた人だったという事です。最後の役職は天文博士で、天文を教える先生をしていたそうです。
法師陰陽師には実際の史料に「蘆屋道満」が登場しますが、実際に人を呪っていたことを安倍晴明に突き止められています。
法師陰陽師とは
法師陰陽師とは、貴族以外の人たちにも広く陰陽道がひろまっていて、忌日や呪いの行為や祓いを依頼を受けていた人たちの事だそうです。官人陰陽師は貴族以外の方からは依頼できない高値の花という事なのです。
そんな中、庶民の間では法師=僧形の陰陽師を頼るほかなかったのが実情です。平安の都には百鬼夜行が横行していると庶民にもしごく当然なこととして常識になっていたので、自分たちの身を守るのに法師陰陽師をたよったそうです。
信頼できる史料には7名の法師陰陽師がいたことが分かってます。
蘆屋道満もその一人という事です。
まとめ
陰陽師の仕事というのは、とても地味で主な仕事は「禁忌管理」であるということです。天文・暦・時間というと私は気象予報士と天文学者が混ざってるなっておもいました。
陰陽師は呪術も行いますが、晴れやかな行為とはいいがたいものがあると私はおもっております。映画はやっぱり映画だし、安倍晴明が史料に初登場した年齢は当時では翁と呼ばれる47歳でした(笑)
呪術に関してはパート2に譲りたいと思いますので今日はこの辺で。
参考文献 安倍晴明 -陰陽師たちの平安時代ー 繁田信一著
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