【陰陽師】 平安京で百鬼夜行を祓う安倍晴明の正体 パート2

陰陽師 平安時代
陰陽師

平安京には色々な怪異があったとされています。先のパート1で書いたように、天文・暦・時刻の管理のほかに一番重要なのが「陰陽道」なのですが、これが呪術にあてはまります。

呪術は人々の生活には無くてはならないものとして確立していきます。それは、貴族社会だけでなく庶民の生活にも無くてはならないものなのです。

安倍晴明はそんな呪術の上で、今昔物語にも大変信頼のおける卓越した呪術師だという事が記されています。

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呪術にはどんなものがあったか見ていきましょう。

呪術の種類

陰陽師が行う呪術には「〇〇祭」という名称がついていました。

平安末期までに成立していた呪術の種類は86種類

平安中期から呪術を行うことが陰陽師の重要な役割になってきました。

呪術の仕事とは

疫病が流行した際に陰陽寮は国家を疫病から守る呪術をしなければならない。

四角祭しかくさい四堺祭しかいさい

天皇の家政・健康にかかわる呪術も職務として加えられていた。

竈神祭かまどかみさい本命祭ほんみょうさい三元祭さんげんさい

 

これらの呪術は陰陽寮の官人ならば誰でも行うことが出来ます。安倍晴明は天文部門でしたが呪術を行うことが出来るのはこのためなのです。

 

陰陽寮官人の変遷

陰陽師の仕事は最初「禁忌管理」における天文や時刻の管理をおこなっている部門もあるとおりにおもに天皇や貴族の物忌み日を管理する仕事が主として行われていました。が、時代が経るごとに仕事の質が変わってきます。

「卜占を職能とする職人」から「呪術を職能とする職人」へと変わっていきました。

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それでは安倍晴明はどんな人だったかを見ていきましょう。

安倍晴明はどんな人

安倍晴明はどんな人だったかを調べると「今昔物語」で評価がみれます。今でいう所のレビューみたいなものですね(笑)

そこにはこう記されてます。

「今は昔、天文博士安倍清明と云う陰陽師有りけり。古にも恥ぢず、止むこと無かりける者也」

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「昔々、天文博士の安倍清明と云う陰陽師がいました。昔からすげー素晴らしかったと人々は思ってる人だったよ」

てのが、口語訳になるのかなぁ(;^_^A

 

「古にも恥ぢず」⇒時代をさかのぼるほどに素晴らしかったという価値観を持つ平安時代の人々によっては最大級の賛辞だった。という風に参考文献には書いてありました。

この今昔物語は清明没後100年位してから編纂されたものなので、こてこてにお世辞を言ってるものでもないというのが清明研究者には思われています。

同時代に共に生きてきた人々の評価もまた素晴らしく、一条天皇専属の陰陽師として活躍したことも書き記されています。

 

清明紋

清明紋

 

安倍清明の暮らし

清明の階位は「従四位下じゅしいげ」でした。これを「安四位あんしい」と呼ばれていた時の清明の今でいう年俸が書かれていた資料があります。

主税寮出雲国正税返却帳しゅぜいりょういずもこくしょうぜいへんきゃくちょう」という記録が『延喜式ふりがな』を書いた裏紙として残っていて、俸給の支払いが残っていました。

従四位下安倍朝臣晴明位禄料 穀参伯陸拾こく玖斗陸升じゅしいげあべのあそんはるあきいろくりょうこくさんびゃくろくじゅうこくきゅうとろくしょう」(こくの字が難しいためかパソコン出力で出ないためひらがなにしてます)

と出ていて、位禄とは四位官人および五位官人が朝廷から支給される俸禄ほうろくの一部をさします。
なぜ「出雲国」かと言えばそこの頃朝廷は財政が逼迫していて地方から支給されていたためです。

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数字の部分だけ今風に書き換えるとすると「360石9斗6升」という事になります。

今の価値に換算すると?

 

360石弱を当時の物価からどれほどの価値があったか換算してみましょう。

平安時代中期、庶民が一般的な雑役に従事して手にすることが出来た1日当たりの報酬は「1升から2升の米」でした。

これを1年360日としていた当時に換算すると、50人~100人の労働者が1年間暮らせるほどの収入が清明にはあったという事です。

現在のサラリーマンの平均年収を400万前後としたら、50~100人の年収は2億~4億という事になります。清明が「平安貴族」と言われるのもわかりますよね。

位禄のほかにも現在のボーナスのようなもので「季禄」というものがあり、本来なら、「あしぎぬ、綿、布、鍬」で与えられていたがこれも米換算で支給されていたらしく、清明の場合は1年分で59石なのでボーナス約3千万~5千万という事になりますね。

貴族の最低ランクが従五位下官人ではありますが、庶民の報酬に比べて格段に高いという事で一番したの位の清明も「平安貴族」だったという事です!

 

まとめ

清明は陰陽寮のほかにも色々な職種をこなしていきましたが、一条天皇専属になるほどの「呪術」の腕前があったようです。今昔物語にも引用される位だったので、さぞかし人物も温和な優し気なそれでいてしっかりした方だったようにおもいます。

それでなければ、少しの史料しか残ってないのに、安倍晴明という名は出てこないでしょう。道満との戦いも書いてみたい気はしますが、歴史から外れてしまうので色々省略しました。

そして、平安貴族の収入の多さにびっくりですね。実際は黒い装束だったんでしょうが、映画や漫画のように煌びやかな清明にもすぐになれるだけの給料ってすてきすぎる(笑)
息子の吉平もきっと同じように地味だけど清明と同じく陰陽師の道から出世していったことでしょう。

それではこの辺で。

参考文献:安倍晴明 -陰陽師たちの平安時代-

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